内容説明
はじめに
この本は、古くて新しい神道の本です。私自身は神行を積んだことも神秘的な体験をしたこともなく、テレパシーや念力を行使もできないし幽霊を見たこともなく、いわゆる予言能力もありません。 いっさいその手のことは体験したことのない、ごくふつうの日本人です。特別の体験もなければ神道について学問的研究をしたこともない人間が、神道の本を書くというのは大それた ことという誹りを受けるかも知れません。が、学や知がなければ解らない神道というのは、「道」ではなく「知」に過ぎません。よほどのことがなければ、ふつうの人はそんな神道の知識を頭に詰めこむ機会はありません。この本で、私は二つのことを試みました。
一つは、弥生時代のふつうの人にとっての神道です。
神道には、実にさまざまな流派があります。各神社に伝えられている神道あり、新興宗教的な教団神道あり、拝み屋さん的な神道というのもあります。そのようないろいろな神道の解説は、ほかの本におまかせしました。 この本で扱ったのは、教団神道はもとよりのこと伊勢神道とか吉田神道とかの古くからの流派が生まれる前の神道、弥生時代の古神道です。 流派どころか、おそらく神道という呼び名もなかったその頃の神道は、日本列島に住む人々の生活そのものでした。
人々は個人の修養や安らぎや魂の救われを得るためではなく、呼吸するのと同じくらい、神ながらの道を行じていました。神ながらの道は、なんら特別なものではなく、ふつうの人の道でした。二〇世紀の私たちがあげつらう以前の古い神道は、ふつうの日本人の生き方だったという意味で、「ふつうの人の神道』と名付けました。
弥生時代の神道は“宗教”という小さな枠や神社という建物に閉じこめられたものではありませんでした。その後も、人々の生活の中に染み渡っていた道であり、古代の政治のやり方、現在私たちが使っている日本語、神社の祭礼から仏事にいたるまで、また、芸能、文学、日本民族の考え方・感じ方も根っこのところは神ながらの道から来ています。弥生時代の古神道は、遠い昔の物語ではなく、昭和・平成の今の世のふつうの人々の行動や文化のなかにも、断片的ではありますが「型」が残されています。言葉を変えれば、弥生時代のふつうの人の神道が日本民族を形成したといえます。
この本では、そういう神道がグシャグシャにされて行く歴史までは語りませんでしたが、全体を読み通していただけば、何が神道をダメにしたのかは推察できると思います。
もう一つは、現代のふつうの人にとっての神道です。
いろいろな流派や教団が生まれる前の神道、いわば生一本の神道を改めて振り返ってみますと、「こうしなければならない」「こうしてはならない」といった戒律は全く説かれていなくて、宇宙から原子にいたる万物の生成原理から、人間が霊体・幽体・肉体から成り立っていることまで、根本的なことが力強く語られていたことに驚かされます。しかも古神道で示されていたことを、さらに具体化した神示が二〇世紀の現代にいたるまで示されています。神道は現代日本にはいろいろの形で残っていますが、個人の修養や安らぎのためには、人々は仏典や聖書をひもとき、神道書を開いてみようとはしませんでした。しかし、個人の安らぎというよりは、自他共に生きる道を語りかける生一本の神道は、今こそ振り返らなければならない道です。それは日本人だけでなく、混迷に陥っている世界の人々が本来は指針とすべきものです。
神道はコトアゲ(屈りくつをこねる)するものではなく、「型」を通じて伝え、「行」を通じて体得するものです。 コトアゲする必要は全くありませんけれども、現代人はコトワリを通さないと納得できません。それで、この本では「行」のやり方ではなく、コトワリ(理)に重点を置いて説明しました。 古神道に関心をもつ人の中には、「行」を重視するあまり、また、コトアゲを拒むあまりコトワリまで無視してしまう人もいます。それでは現代のふつうの人々に神ながらの道を伝えることは出来ないと思います。この本で説明したのは、あくまでもコトワリの入口に過ぎませんけれども、それでも何かを感じとられたら、あなたの足で一歩進んでみて下さい。
なお、この本では、読む流れを中断させたくなかったので、一部分を除いては、私の説であるかのように語っているところが多くなっています。また、多くの場合、敬称も省かせていただきました。しかし、最後の章には、私が拠りどころにしたことを一括して解説ふうに明らかにしてあります。この本は水先案内書ですから、その章に示した本を読んで、ほんとうの理解を深めて ください。そうすれば、さらなる一歩を踏み出すための手がかり足がかりになると思います。
もう一点、お断りしておかなければならないことがあります。私の神道研究は、学問として研究したのではなく、国土地理院の二万五千分の一地形図から神社の配置の仕方を研究したことから出発しました。本文の中でも述べたように、神社というのは行きあたりばったりにその位置が定められたのではありません。実に整然としたルールに従って配置されているのです。そのため、弥生期の日本列島には、どういう氏族がどの地方にいて、どのように土地を開拓したかが、歴然とわかります。この研究については、すでに三冊の本を刊行しましたが、 既刊三冊では、古代人のそのような神社配置の信仰的背景については、全くといっていいほど述べませんでした。
今回の本は、初めてその根幹にある古代人の信仰について書いたものです。その意味では、既刊の拙著をお読みの方はそのまとめとして読んでいただければ、一層理解を深めることができるのではないかと思います。逆に、今回の本を読まれて古代史に関心を抱かれた方は、私の別の著書に当っていただければうれしく思います。
神ながらの道には規約がありません。 入会金も会費もいりません。特別な体験も知識もいりません。物事を茶化すことなく、まじめに、しんけんに考え、祈り、行じる気持さえあれば第一歩は踏み出せます。その一歩すら踏み出す勇気のない人でも、せめて「理解」はして、騒がずに見ていてください。 この本が一枚の見取り図として、あなたのお役に立つことを願いながら
【第一章】 「三」と「八」の謎
「三」が「八」に出会う/地上絵が日本にも?/ 神社の元は岩だった/三種の聖角と三天法/ 正しい東西がわかっていた/二至二分の呼び方/「ス」の生態/「マ」の生態/八柱の神
【第二章】 宇宙と岩
日本の宇宙生成原理/中心・即・全体/「成る」と「作る」/2は1+1ではない/ 三段構成の三段構成/八神・三神・一神/精妙な霊魂観/鎮魂とは何か/神籬磐境/ 「ス」 偉大なるもの/言霊の幸わう国/「いろは」と五十音/図形にも霊が宿る。
【第三章】 歴史と現在
日吉大社の山王祭/薬と歌との親密な関係/ 新しい都を求めて/なぜ卑弥呼が立てられたか/ 神武天皇と卑弥呼/渡来文明の中毒/ 前方後円墳の秘義/前方後円墳の秘義第二
【第四章】 つながり方とつなぎ方
日本に宗教はない?/天御中主か、国常立か? /もう一つの国生み神話/契約と小宇宙/ 禊祓の本質/ 悪にはどう対処したらいいか/ 行(ぎょう)と祈り/氏神・産土神と村八分/フランス兵士の言葉/ 恐怖の書・申命記/ 型を守るということ
【第五章】 世界終末とミロク世
何が「原点」か?/ 予言は外国まかせなのか?/ ミロクの世が来る?/ 逆子と正常児/ ヒトの生まれ方/ 残留組と進行組/ 生かされある存在/ 「情け」と「花」の仕組み/ ムカッと来たらすぐ掃除/三元図と心の力
【第六章】 悪の総大将の仕組み
悪の総大将/ 魔釣りの企み/ イシヤとは何を指すか/ 第三次世界大戦記念?/ 知恵なる『蛇の力』/ 重荷を負うた獣/ クラゲの学校
【第七章】 古くて新しい道
なぜ日本が狙われるのか/ 岩戸閉め・岩戸開き/ 自由・平等・博愛/ 型示しと血統探し/ イシャの「御役」黙示録の仕掛け/ 伊勢の神灯の謎/ 真理は単純で奥深い/ もう一つの古事記
【第八章】 狙われる神道
神道=軍国主義?/ いつから国家神道が?/ 神道は冷遇されていた/ 誰が検挙したか?/ 「国家神道」の真相/ 民族を見るには信仰を見よ/ さまよえる…/ 日本のネック(?)/ 双頭の鷲作戦/ アメリカを見よ/ お人よしは善人ではない/ 御神体に住む人々
【第九章】 あとがきに代えて
この本は、古くて新しい神道の本です。私自身は神行を積んだことも神秘的な体験をしたこともなく、テレパシーや念力を行使もできないし幽霊を見たこともなく、いわゆる予言能力もありません。 いっさいその手のことは体験したことのない、ごくふつうの日本人です。特別の体験もなければ神道について学問的研究をしたこともない人間が、神道の本を書くというのは大それた ことという誹りを受けるかも知れません。が、学や知がなければ解らない神道というのは、「道」ではなく「知」に過ぎません。よほどのことがなければ、ふつうの人はそんな神道の知識を頭に詰めこむ機会はありません。この本で、私は二つのことを試みました。
一つは、弥生時代のふつうの人にとっての神道です。
神道には、実にさまざまな流派があります。各神社に伝えられている神道あり、新興宗教的な教団神道あり、拝み屋さん的な神道というのもあります。そのようないろいろな神道の解説は、ほかの本におまかせしました。 この本で扱ったのは、教団神道はもとよりのこと伊勢神道とか吉田神道とかの古くからの流派が生まれる前の神道、弥生時代の古神道です。 流派どころか、おそらく神道という呼び名もなかったその頃の神道は、日本列島に住む人々の生活そのものでした。
人々は個人の修養や安らぎや魂の救われを得るためではなく、呼吸するのと同じくらい、神ながらの道を行じていました。神ながらの道は、なんら特別なものではなく、ふつうの人の道でした。二〇世紀の私たちがあげつらう以前の古い神道は、ふつうの日本人の生き方だったという意味で、「ふつうの人の神道』と名付けました。
弥生時代の神道は“宗教”という小さな枠や神社という建物に閉じこめられたものではありませんでした。その後も、人々の生活の中に染み渡っていた道であり、古代の政治のやり方、現在私たちが使っている日本語、神社の祭礼から仏事にいたるまで、また、芸能、文学、日本民族の考え方・感じ方も根っこのところは神ながらの道から来ています。弥生時代の古神道は、遠い昔の物語ではなく、昭和・平成の今の世のふつうの人々の行動や文化のなかにも、断片的ではありますが「型」が残されています。言葉を変えれば、弥生時代のふつうの人の神道が日本民族を形成したといえます。
この本では、そういう神道がグシャグシャにされて行く歴史までは語りませんでしたが、全体を読み通していただけば、何が神道をダメにしたのかは推察できると思います。
もう一つは、現代のふつうの人にとっての神道です。
いろいろな流派や教団が生まれる前の神道、いわば生一本の神道を改めて振り返ってみますと、「こうしなければならない」「こうしてはならない」といった戒律は全く説かれていなくて、宇宙から原子にいたる万物の生成原理から、人間が霊体・幽体・肉体から成り立っていることまで、根本的なことが力強く語られていたことに驚かされます。しかも古神道で示されていたことを、さらに具体化した神示が二〇世紀の現代にいたるまで示されています。神道は現代日本にはいろいろの形で残っていますが、個人の修養や安らぎのためには、人々は仏典や聖書をひもとき、神道書を開いてみようとはしませんでした。しかし、個人の安らぎというよりは、自他共に生きる道を語りかける生一本の神道は、今こそ振り返らなければならない道です。それは日本人だけでなく、混迷に陥っている世界の人々が本来は指針とすべきものです。
神道はコトアゲ(屈りくつをこねる)するものではなく、「型」を通じて伝え、「行」を通じて体得するものです。 コトアゲする必要は全くありませんけれども、現代人はコトワリを通さないと納得できません。それで、この本では「行」のやり方ではなく、コトワリ(理)に重点を置いて説明しました。 古神道に関心をもつ人の中には、「行」を重視するあまり、また、コトアゲを拒むあまりコトワリまで無視してしまう人もいます。それでは現代のふつうの人々に神ながらの道を伝えることは出来ないと思います。この本で説明したのは、あくまでもコトワリの入口に過ぎませんけれども、それでも何かを感じとられたら、あなたの足で一歩進んでみて下さい。
なお、この本では、読む流れを中断させたくなかったので、一部分を除いては、私の説であるかのように語っているところが多くなっています。また、多くの場合、敬称も省かせていただきました。しかし、最後の章には、私が拠りどころにしたことを一括して解説ふうに明らかにしてあります。この本は水先案内書ですから、その章に示した本を読んで、ほんとうの理解を深めて ください。そうすれば、さらなる一歩を踏み出すための手がかり足がかりになると思います。
もう一点、お断りしておかなければならないことがあります。私の神道研究は、学問として研究したのではなく、国土地理院の二万五千分の一地形図から神社の配置の仕方を研究したことから出発しました。本文の中でも述べたように、神社というのは行きあたりばったりにその位置が定められたのではありません。実に整然としたルールに従って配置されているのです。そのため、弥生期の日本列島には、どういう氏族がどの地方にいて、どのように土地を開拓したかが、歴然とわかります。この研究については、すでに三冊の本を刊行しましたが、 既刊三冊では、古代人のそのような神社配置の信仰的背景については、全くといっていいほど述べませんでした。
今回の本は、初めてその根幹にある古代人の信仰について書いたものです。その意味では、既刊の拙著をお読みの方はそのまとめとして読んでいただければ、一層理解を深めることができるのではないかと思います。逆に、今回の本を読まれて古代史に関心を抱かれた方は、私の別の著書に当っていただければうれしく思います。
神ながらの道には規約がありません。 入会金も会費もいりません。特別な体験も知識もいりません。物事を茶化すことなく、まじめに、しんけんに考え、祈り、行じる気持さえあれば第一歩は踏み出せます。その一歩すら踏み出す勇気のない人でも、せめて「理解」はして、騒がずに見ていてください。 この本が一枚の見取り図として、あなたのお役に立つことを願いながら
【第一章】 「三」と「八」の謎
「三」が「八」に出会う/地上絵が日本にも?/ 神社の元は岩だった/三種の聖角と三天法/ 正しい東西がわかっていた/二至二分の呼び方/「ス」の生態/「マ」の生態/八柱の神
【第二章】 宇宙と岩
日本の宇宙生成原理/中心・即・全体/「成る」と「作る」/2は1+1ではない/ 三段構成の三段構成/八神・三神・一神/精妙な霊魂観/鎮魂とは何か/神籬磐境/ 「ス」 偉大なるもの/言霊の幸わう国/「いろは」と五十音/図形にも霊が宿る。
【第三章】 歴史と現在
日吉大社の山王祭/薬と歌との親密な関係/ 新しい都を求めて/なぜ卑弥呼が立てられたか/ 神武天皇と卑弥呼/渡来文明の中毒/ 前方後円墳の秘義/前方後円墳の秘義第二
【第四章】 つながり方とつなぎ方
日本に宗教はない?/天御中主か、国常立か? /もう一つの国生み神話/契約と小宇宙/ 禊祓の本質/ 悪にはどう対処したらいいか/ 行(ぎょう)と祈り/氏神・産土神と村八分/フランス兵士の言葉/ 恐怖の書・申命記/ 型を守るということ
【第五章】 世界終末とミロク世
何が「原点」か?/ 予言は外国まかせなのか?/ ミロクの世が来る?/ 逆子と正常児/ ヒトの生まれ方/ 残留組と進行組/ 生かされある存在/ 「情け」と「花」の仕組み/ ムカッと来たらすぐ掃除/三元図と心の力
【第六章】 悪の総大将の仕組み
悪の総大将/ 魔釣りの企み/ イシヤとは何を指すか/ 第三次世界大戦記念?/ 知恵なる『蛇の力』/ 重荷を負うた獣/ クラゲの学校
【第七章】 古くて新しい道
なぜ日本が狙われるのか/ 岩戸閉め・岩戸開き/ 自由・平等・博愛/ 型示しと血統探し/ イシャの「御役」黙示録の仕掛け/ 伊勢の神灯の謎/ 真理は単純で奥深い/ もう一つの古事記
【第八章】 狙われる神道
神道=軍国主義?/ いつから国家神道が?/ 神道は冷遇されていた/ 誰が検挙したか?/ 「国家神道」の真相/ 民族を見るには信仰を見よ/ さまよえる…/ 日本のネック(?)/ 双頭の鷲作戦/ アメリカを見よ/ お人よしは善人ではない/ 御神体に住む人々
【第九章】 あとがきに代えて